まず、最初に、この超「長門」超え戦艦は、「大艦巨砲主義」で作られたのではなく、ロンドン条約でアメリカやイギリスに対して不当な制限下で置かれた、数的な戦艦の不利を一気に補うために、艦隊決戦の時には、「敵の効力射程外の遠距離から米艦船を撃破する」という「遠大距離砲戦思想」が、軍令部で検討されたことに由縁する。

 

 

この構想は、技術的問題があり、46cm砲でも20~30kmが限界であり、実際には、側敵ができない場合は、無駄なので無闇に討ってはいけないと、戒められていたのも事実である。

 

大和が建造され始めた1937年には、30km以遠の砲戦も研究され始めていた。

 

大和級が唯一主砲戦闘をした、サマール沖開戦でのアメリカ護衛空母に対しての砲撃は、至近弾を出すことに成功した。命中は一切無けれども、威力は恐るべきものであった。

 

したがって、アイオワ級は別として、サウスダコタやノースカロライナに対しては優位に立てたかもしれない。という論評が多い。

 

1944年昭和19年に射撃用レーダーが賦課されるまでは、二号二型電探改四号を装備していた。

 

 

世界最大の46センチ砲は、20~30kmの安全圏を確保できるということから、防御は、それを念頭に大型艦である為、それに対しての重圧な防御が施されるように設計された。

 

竣工後に、事実傾斜装甲部の強度不足問題から、潜水艦の魚雷1発で3000tの浸水を生じたことから、批判の対象とされているが、「あの配置の舷側装甲を採用して、水中防御を両立させるには、最良の方法」と、されている。

問題発生後に、装甲取り付け部の強度改善工事を実施して、この欠点を一応堤正しているのも事実だ。

 

ただ本級を含めた、日本艦艇は、応急能力は、米艦におとり、特に浸水及び傾斜復旧の面では大きな遜色が認められる。還元性の面において不利益を生じたことも確かである。

 

レイテ沖開戦において武蔵、大和が天号作戦において、予想を遥かに超える着弾数で沈没したことを考えれば、その大きさのお陰もあって、十分発揮できたといってよいのは無かろうか。

 

 

大和級の速力は実際23ノット級で計画され、サウスダコタ級の機動性を上回るために27ノットとされたが、優位を上回ることはできなかった。

計画自体が、戦艦のため、護衛空母随伴は、できなかったけれど、戦艦としての速力は十分なものであったとされている。

 

 

 

以上のようなことから、大和級戦艦は、第二次大戦において、1対1で対抗できる能力を持つ艦は、ほとんど無かったと、見てよいのではないだろうか。

 

サマール沖海戦では、制空権を取られて、戦闘力を発揮できなかったにせよ、不利な戦況で実力を発揮できなかった、というのも酷といえる。

 

「世界最大、最強」という、一般適評価は、決して間違ったものでは無いと考える次第、といえる。と、思われる。